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施設長さっちーの色々〜誕生日編〜

コアキッズのブログ閲覧回数で一番多いのがなんと、「施設長岩村の紹介」というゆっきーがわたしを紹介している記事なんですが、ありがたいことに私の事に興味がある方がいてくれるようなのですが、昨日、○歳のお誕生日を迎えました。(童顔なんで若く見えがちですがけっこうおばちゃんです♡)

そこで、まずまずの黒歴史を公開してみようと思います。

私の黒歴史が少しでも発達障害のお子さんをもつ特に多動で落ち着きがないなどで将来を不安視している親御さんに読んでもらえたらなぁと思います。

少しでも親御さんの不安が光に変わり、子どもたちの未来を楽しみできることが来る日を願って。

私の産まれは長崎県にある五島列島という小さな島。

母にとっては3度目の出産でしたが、すでに一番上の兄は白血病で亡くなっていました。

男の子が続いた後の待望の女の子で、父は漁師業・母は旅館業という根っからの自営業家庭で育って、裁縫や料理が好きな母は私に女の子らしさを求め、ことあるごとに「女の子なんだから」と言ってきかせていました。

逆らうように、もともとのおてんばな気質と性格とあいまって、かなうわけのない体格の良い兄に喧嘩を挑んではぼこぼこにされ、木登りしては落下して頭がぱっくりわれ、イカダとイカダの間をジャンプしてはおぼれて死にかけたりと到底女の子らしいとはかけ離れた日々をすごし、とうとう、何度となく死にかける私に両親も命の危機を感じ保育園に通わせることを決めたようです。

私が保育士になりたいと思ったきっかけは子供が好きとかそんな理由じゃなく、この頃出会った保育園が楽しい場所で大好きだったからというのがあります。

よく「保育園に預けるなんてかわいそう」とか言う人がいますが、私は自分が楽しかったのでそう思える保育園や保育士に出会えたのは幸運でした。

そして、私の人生に大きな影響を与えた存在が6歳で亡くなった弟です。

弟は右手がない先天性の肢体不自由児でした。

自分で言っていましたが産まれた時から手がないので「どうして手がないんだ?」と聞かれることは「どうして髪が黒いの?」と言われているのと同じで彼は手がない事に不便を感じることもなく、日常生活特に困りごともなく私達家族も特に違和感を感じることなく過ごしていました。

首と肩で箸も上手に使いこなし、父の編み仕事も見て覚えており、亡くなるその時も自分で点滴をはずし酸素をはずし大人の手をはらいのけて亡くなっていきました。

最後まで自分で生き方の選択をしたなぁと思います。

私が、看護師になりたいと思ったのは、この日だったと記憶しています。

そんなにうまく器用にはいかず高校は中退し、通信制の高校に通いなおし、看護学校に行くことを諦めて、保育士になりました。

意外と保育士という仕事は合っていて好きでした。

そのまま続けていても良かったのかもしれませんが、それでも、やっぱり諦めきれなかった夢を叶える為、20代のうちに決心し、働きながら通うことを決めました。それなりに過酷だったけど、あのときの決断は間違ってなかったと思います。

思えば、人と違うことが短所としか思えなかった幼少期をすごしてきました。

今では、それは私の強みになっています。

そう、少数派と言われる発達障がい児の気持ちに痛いほど寄り添うことができるのです。

あの頃、感じていた景色や心で、あの頃にすぐにかえることができます。

「こころがいろんなところにいってしまう、座れない、とまれない。」

大丈夫。たくさんの可能性を秘めているよ。そう伝えることができます。

あの頃両親からしたらとんでもなく困った子供だった私も今では多くの人に頼りにされる存在になってる。

そして、子供の可能性を一番近くにいる大人が信じてほしい、そのままでいいよ、そのままのその子を愛してほしい。

ずっと、こんな自分じゃだめだ、どうして自分はこうなんだろうと思い続けて苦しかった、あの頃の自分のような子供をなくしたい。

今私が管理している施設は、そんな私の思いもたくさんつめこみました。

障害児を持つ親が考えたと謳っていますが、考えると当事者が考えたと言ったほうが良いのかもしれません。

親目線というより、どちらかといえば子供目線。

だから、親からしたら利用しにくかったりもします。

親がいくら長時間療育を希望しても、まだできない場合もあったりとします。

ここは大人が都合よく利用する施設じゃなく、自分を好きになる子供をふやしたい、子供の味方をする為の施設だという思いがあるからです。

明らかに子供が苦しむことを容易に想像できるような環境設定はできないのです。

正直、雇われの身であるので(社長すみません)利用者が増えなくても私には影響ありません。

でも、あの日の自分のような子供がどこかにいるのなら、出会いたいし話がしたい。

そして、生きることは思ったより楽しいことを伝えたい。

そうすることで私自身救われていく。

しょせん、承認欲求のもと動いているのかもしれない。

だから、いつもすみませんという保護者に伝えたい、私は話すことで私自身救われている。

WINWINだということ。

凸凹なく器用に生きることができればもっと楽なんだろうけど、自分が自分をみとめてあげないとつらいよなと感じるわけで、それがきっと子供だったら親なんだと思う。

あの頃、いたらよかったなぁと思う大人に私がなれるように。

この半年施設運営をやってみて、市のやり方や色々とまぁ、うんざりでくじけそうな日も正直あるんだけど。

このままでいいわけがないから、少しでも声を上げ続けていきたいと思う。

おめでとう、私。

そして、産んでくれてありがとう、おかぁさん。

(今年も、大好きなSHOGENさんの絵画を自分へのご褒美に)